
弟子屈町広報誌「広報てしかが」平成6年6月号〜平成8年3月号に掲載
阿寒国立公園小史(5)
てしかが郷土研究会 会員 小林俊夫
国立公園区域の実測調査
国立公園調査会一行の来町により、ますます国立公園指定が有望となりましたが、さらに確定的なことが起きました。
昭和八年六月二十二日内務省嘱託の黒田新平氏と同衛生局国立公園係の石原耕作氏が国立公園区域の実測のため来町したことでした。
両氏は七月二十四日までの約一ヵ月にもおよぶ調査を敢行しました。図面上での国立公園地域を論じられていたものを実際に現地を踏査測定し、国立公園の線引きをするための作業で、大変困難な作業であったようです。
またこの調査は国立公園区域の確定によりいくつかの制約を受けることから、多くの個人や町の利害にも関係する作業であり、大変地味で難しい調査でもありました。
国立公園調査会一行のようにポイントだけを調査するといった殿様旅行とは違って、両氏は地元の人でさえ知らない地区をくまなく調査したようです。
この調査で特に問題になったことは、弟子屈市街地を公園区域に入れるかどうかという問題でした。結局は弟子屈は既に市街地が形成され、また一部に区域内に入れられることによって建築物等の規制が厳しくなるという反対意見が出され、区域外とした経過があったようです。
両氏は調査結果に基づいて、ピリカネップ・足寄口・北見相生口・横断道路・尾札部・摩周湖登山口・美留和・美幌峠・釧北国境の9箇所に国立公園境界標を建てました。
調査終了後、釧路市役所関係者や近藤営林区署長等が両氏を慰労し、終わって後五十名もの関係者が出席し座談会が開催されました。
この席上で黒田、石原両氏は次のような注意とアドバイスをしています。
一、国立公園になる日も近いとあって、業者の進出により既に俗化の傾向をみせていますが、これは避けてもらいたいものです。
二、アイヌの人々は何を聞いても良く知っていますが、和人は何も知らないようです。もっと勉強すべきです。
三、地元民の知らない景勝地として、キキン岳、藻琴山、美羅尾山、湯沼、摩周湖(現在の第三展望台)、西別岳などがあげられます。
以上のような内容ですが、今から六十数年前に熊笹をかきわけ、ハイマツをくぐって踏査を実施した両氏の努力は大変なものであったことを物語っています。
国立公園指定前に指定イベント開催
もう国立公園の誕生はすぐそこに来ているとばかりに、大イベントが指定記念事業として開催されました。
釧路市、支庁、商工会議所のトップ会談により「阿寒国立公園指定記念全国特産物共進会」を企画実施したのでした。
当時は博覧会や共進会といったイベントは一大行事でした。
期間は昭和八年八月十一日から十日間にわたって開催されました。場所は第一会場として第一小学校(現在釧路市立日進小学校)、第二会場は弟子屈小学校でした。
指定は昭和九年ですから、一年以上も早く開催された理由はいくつか考えられますが、公園指定が早々行われるものと判断したか、または早期指定のためのデモンストレーションであったかもしれません。
観光協会の創設このような高まりの中にあって、地域的に観光協会が創設されるのも当然と言えます。つまり、国立公園指定をまじかに控え、観光客の受入れ体制の確立が必要になってきたことや、広く全国に観光宣伝が求められて来たのがその理由と考えます。
北見地方では昭和八年十一月に野付牛商工会や野付牛運輸事務所が中心となって野付牛(現在の北見市)に阿寒観光協会が創設され、また昭和九年四月には美幌町観光協会が谷内九郎氏を会長として発足しました。一方、釧路地方では昭和八年十一月に「阿寒国立公園観光協会」が発足しました。 主な事業としては、三万枚のパンフレットやリーフレットを印刷して全国のツーリスト・ビューロー(現在の交通公社の前進)に配布、また東京・大阪など主要駅に置くなど、広域宣伝に力点を置いたようです。
阿寒国立公園の誕生
いよいよ、待望の「阿寒国立公園」が正式に内務省から告示されました。その内容を紹介しましょう。
内務省告示第五百六十七号
国立公園法第一条/規定二依り、左ノ通区域ヲ定メ阿寒国立公園ヲ指定ス。其ノ区域区域ヲ表示シタル図面内務省及北海道庁、其ノ町村分図左記町村役場ニ備付ケ縦覧ニ供ス。
北海道網走郡美幌町津別村、同川上郡弟子屈村標茶村、同阿寒郡舌辛村、同白糠郡白糠村、同足寄郡足寄村昭和九年十二月四日内務大臣 後藤文夫阿寒国立公園区域
一、釧路国川上郡弟子屈村、大字屈斜路村、小字跡佐登、川湯、仁伏、屈斜路、サッテキナイ、トモシリ、ポントオサッペ、エントコマップ、ウランコシストイコエノ全部美留和ノ一部
一、同国阿寒郡舌辛村大字飽別村、小字尻駒別、シアンヌ、オクルシベ及阿寒湖畔ノ全部、ピリカネップ一部
一、御料林屈斜路事業区
一、同 弟子屈事業区
一、同摩周事業区
一、国有林標津事業区
一、同屈斜路事業区全部
一、同杵端辺事業区
一、同飜木檎事業区
一、同阿寒事業区
一、同足寄事業区一、同白糠事業区
以上のような阿寒国立公園期成同盟会が中心となって多くの関係者の懸命な努力により、当初阿寒湖を中心として考えていた国立公園は、摩周湖や屈斜路湖を含めた「阿寒国立公園」が誕生したわけです。
この告示が公布された時の関係者の喜びは想像を越えたものであったと推測します。
昭和九年十二月十六日には、釧路市を中心に盛大な祝賀会やパレードなどが開催されたことを当時の新聞は誇らかに報じています。
指定に至るまでの関係者の粘り強い努力に頭が下がる思いです。
