弟子屈町広報誌「広報てしかが」平成6年6月号〜平成8年3月号に掲載

阿寒国立公園小史(6)

てしかが郷土研究会 会員 小林俊夫

「国立公園」指定記念祝賀会

「阿寒国立公園」指定が実現し、関係者の喜びは大変なものだったようです。

昭和九年十二月四日指定からの出席による「阿寒国立公園」指定祝賀会が開催されました。昭和九年十二月十六日午後一時から、会場は釧路市公会堂でした。

当時の「北海タイムス」(昭和九年十二月十七日発行)は祝賀会内容を大きな見出しで詳しく報じています。

ここで一部紹介しましょう。

<祝賀あいさつ>
・阿寒国立公園期成同盟会会長 茅野釧路市長
・北海道長官代理林務課長
・札鉄局長代理藤本運転課長・佐々木市議会議員
・子野日厚岸町長 (各町村長を代表して)
・遠藤釧路新聞社社長(各新聞社を代表して)

<感謝状贈呈>
一般
・佐山信一、田村剛、林常夫、永山在兼、佐藤国司、藤原好雄、西堀重治。

国立公園編入関係
・木下成太郎、小池仁郎、三井徳實、尾崎天風、名井九介、関屋延之助、伊藤長右衛門、林駒之助、桑名佶、伊藤八郎、岡田伊之助、伊藤鉄次郎

学術関係
・宮部金吾、新島善直、松村松年、西村眞琴、田中館秀三、大井上義近、犬飼哲人、奥田義正、館脇操、武藤郁、榊原直、多勢俊一、故大町桂月、故川上龍彌

期成会同盟関係
・吉村政次郎、渡辺藤七、飯島三治、田口貞次郎、宮尾直治、菊池三之助、遠藤清一、谷川喜市、林田則友、原田力之助、佐々木米太郎、中村敏夫。

施設関係
・高田善蔵、丸山斌、千葉栄、並木鉄三、辻孝二、久保操、石田松太郎、神子島卓所、安達清、故佐伯辻之助。

宣伝関係
・吉島力、井出継男、石田恵一郎、中西六太郎、伊藤周吉、両角栄治、境長作、恩田利直、齋藤秀三、飯田清司、大島豊吉、椎名大佐、高山正夫、渡邊源四郎、神八三郎、半田達治、小田切栄三郎、高野源蔵、五十幡熊五郎、野田顕鉄哉、宮脇恒、藤原佐壽、黒瀬太一、阿部牧太郎、伊藤潔、佐藤惣五郎、石井源次郎、藤野謙助、今泉貞一、子根日弘毅、野中増次郎、服部増太郎、工藤恭正、小畑鶴之助、岡田紅防、多海本好夫、千葉豊、関川勝江、中井多喜蔵、青木貞行、三輪貫一、柴義一郎、沼館助三郎、今泉福太郎、佐々木元吉、中野高十、豊井小市、 重田才次郎、土沼助吉、岩田方次郎、山浦久三郎、三浦末松、本山亀松、風間達三郎、五月女十次郎、岩淵三治、山浦庄助、観光協会、故横田善之亟、故横田盛成、温泉協会、自動車協会。

案内関係
・阿部與市、本間永三。

<余興>
・阿寒踊り、釧路踊り、獅子舞い、助六踊り、恵比須踊り、剣舞などが披露された。

<パレード>
・祝賀会と並行して、釧路市内七小学校生徒、女学校や中学校生徒など会わせて千人が午後一時に公会堂に集合し、午後一時半から市中パレードが行われました。生徒達は手に手に旗を持ち華やかな旗行列となりました。また、自動車協会が花自動車を繰り出し、当時としては大変珍しいもので市民の注目の的になりました。

(注) 新聞記事のコピー状態が悪く、読みにくい氏名がありましたので、語気があるかもしれません。ご了承ください。

青木貞行弟子屈村長の業績

このように、感謝状を受けた人々は当時の北海道をリードしていた人達であり、この「阿寒国立公園」指定運動とその実現地域にとっても大変重要な事業であったことを物語っていることが伺われます。

その中には青木弟子屈村長を筆頭に弟子屈村の各著名人の面々も名前を連ねています。

青木村長は初代村長細川政雄氏(大正十一年三月一日から昭和四年一月十六日在職)から引き継いで「阿寒国立公園」指定運動に携わり、その実現を果たした一人です。

ここで青木貞行村長(昭和四年一月十七日から昭和十八年三月三十一日在職)について紹介しておきたいと思います。

青木村長について語る資料がほとんどないため、昭和五十二年十月一日に建立された「弟子屈町顕彰碑・風雪の碑」の栞の中の「青木貞行氏の業績」欄から紹介します。

『氏は明治二十一年九月十六日富山県二塚村青木元右ヱ門氏の長男として同地に生まれ、同三十二年四月父母にともなわれ御料移民として弟子屈(当別)に移住、翌三十三年新設された簡易教育所に学びながら開拓に汗を流した。長じて弟子屈戸長役場の吏員となり、収入役を経て大正十五年十月標茶村長に任じられ、昭和四年衆望に迎えられ自ら地と汗で築いたこの地の村長として着任した。この年四十一才であった。

折から未明の地から一大観光地として脱皮しつつあった多端な弟子屈の発展に画期的な役割を果たし、今日の繁栄の基礎をつくった功績はまことに大きい。

その十五年に渡る在任中氏の果たした特筆的な業績は何にもまして前任者細川政雄村長の意志を継承し国鉄釧網本線全通の促進と、阿寒屈斜路間を結ぶ横断道路建設の早期完成により、摩周屈斜路両湖ならびに川湯硫黄山とその周辺地域の阿寒国立公園編入をはかり、その一方では管内温泉、商店街の充実、寒地主畜農業の振興、経営基盤の整備等多面的な行動により住民生活圏の確立を計ったことである。ことに開拓農民出身の氏は国有林の開放、共同牧場の設置、新たな開拓民の受入れ、指導に超人的に奔走するなど牧場村長をほしいままに活動した。

その理想とするところは村と人の自立による健全なる経営であり、景勝にも勝る美しい豊かな郷土づくりであった。』

と業績を讃えています。

このように、当時厚生省は阿寒湖の周辺のみを国立公園に指定しつつあった状況を、村長という立場で、釧路土木所長永山在兼氏や営林区長近藤直人氏等というより身近な協力者との努力により摩周湖・屈斜路湖・硫黄山とその周辺を含めた「阿寒国立公園」の誕生を実現させたのです。

このことから、青木村長は観光弟子屈の将来を見事に展望した「弟子屈町の阿寒国立公園の父」といっても過言ではありません。