
※本記事は、1987年から『広報てしかが』に連載された種市佐改氏の文章を原文のまま掲載しています。内容は掲載当時の情報に基づいています。
硫黄山と鉄道百年物語(4)
困難だった交通事情
いつの世の中でも産業や人の暮らしと交通は密接な関係があります。前号でも見たとおり、初期の硫黄山の従業員を悩ませたものは、交通不便のための魚や野菜類の入手困難でした。 それに製品となった硫黄を釧路まで運ぶのも大変でした。そこで当時の交通事情をよく勉強しておきたいと思います。
硫黄山創業当時の交通について、北海道鉱山略記にはおおよそ次のように書いています。
「孫右衛門発見の時の硫黄山付近の道路は、土人部落のある弟子屈から屈斜路に至る一本の小道の外は皆無であり、そのためこの道路を利用して、屈斜路湖から約一里下流のツボヒメチから東北に折れ、渓間や深林を屈曲する粗末な道を拓き、硫黄を十三貫五百匆の叭(かます)詰にして標茶まで駄送し、標茶から釧路川を叺八十個を積んだ海舟で釧路まで輸送した」と書いています。
この記録をほぼ証明する地図として図2を見てみましょう。この地図は明治二十六年製版のものですが、おかしなことにそのころ大活躍の釧路鉄道が印刷されていませんし、 標茶に集監の囚人たちが明治二十三年に拓いた野上峠越えの道路も抜けています。
つまりこの地図は、明治二十六年の製版であっても、古い情報や測量によって作ったものと思われますね。このように考えると、鉱山略記の記述が生き生きとしてきます。道路は弟子屈と屈斜路間の一本道しかありませんね。
ツボヒメチという地名が無く、距離も多少ちがいますが、屈斜路付近から東北に折れ、キンム湖(湯沼)付近を通って、当時硫黄を採掘していた硫黄山の裏側に達する点線の小道が印刷されており、これが当初の硫黄輸送ルートではないかと考えられるのですがいかがでしょう。
しかし、大きな疑問もあります。それはツボヒメチという地名がはっきりしないことです。 これについておわかりの方がおられたなら、ぜひお教えいただきたいと思います。
佐野の新道開さく
このようにして町内初の産業硫黄鉱業が開始されましたが、収益性を高めるためには、輸送コストを下げることが絶対の条件です。
そこで孫右衛門は開拓使に自費をもって新道を開さくすることを届出、明治十一年から三年がかりで、釧路の苧足糸(おたえと[今の港町])から、セツリ(釧路川と雪裡川の合流点)を経て、釧路川右岸沿いに弟子屈に至る二十三里余間に、積荷舟を曳く人道を拓き、弟子屈から跡佐登までは幅三間長さ四里三丁余の駄送路を拓きました。その他製煉所付近にも手押車を押せる車道をつくり、また釧路川の流木を処理して、舟航の便をはかったりしました。
ここで再び図2を見てみましょう。弟子屈から美留和付近を経て硫黄山の裏側に達し、屈斜路からのルートとドッキングする点線の小道がありますね。これがその時に拓かれた四里三丁余の道ではないかと思われます。
しかし、道とは言っても現在のような道路ではなく、釧路〜弟子屈間は舟を曳くだけの、弟子屈〜跡佐登間は馬で硫黄を駄送するだけの踏みわけ道と考えた方がよいでしょう。
この道路の完成は明治十三年春のことで、孫右衛門は同時に福山方面から馬四百頭を導入し、毎日三百頭を使役し、百頭を交替で休ませる体制をとりました。
硫黄輸送の新体制
このようにして明治十三年から新しい硫黄の輸送体制ができましたが、この方法を多くの史料は次のように書いております。
山元の硫黄山から標茶町の瀬文平まで、一駄二十貫をのせた馬三百頭が二日に一往復し、瀬文平〜五十石間は二十五石舟四隻で一日一往復、五十石〜塘路間は六隻の五十石舟で一日半で一往復(このため五十石という地名が生れました)、塘路〜釧路間は三隻の百石舟で三日で一往復をかけて硫黄を輸送したと書いております。
つまり、輸送コストの高い馬による輸送区間をできるだけ短くし、コストの安い舟輸送を、釧路川の水量や航行の条件に合わせて、舟を次第に大きくする輸送方法をとりました。
しかし、これは後になってからのことで、鉱山略記によると明治十三年四月からの新輸送開始当初は、硫黄山〜弟子屈間は馬輸送、弟子屈〜熊牛間は十五石舟、熊牛〜標茶間は二十五石舟、標茶〜塘路間は五十石舟で輸送したものの明治十三年秋の出水で流木が多くなって弟子屈〜熊牛間の舟輸送を廃止し、明治十七年から熊牛〜瀬文平間の舟輸送も駄送に改めたとありますので、いろいろと試行錯誤の苦労があったようです。
そのころの記録には、弟子屈温泉や川湯温泉のことは見当りません。硫黄山の従業員や硫黄輸送の馬方さんが、温泉を利用していたかどうか、興味ある課題ですね。
注1、開拓使事業報告原稿から、
釧路国釧路郡米町平民佐野孫右衛門ヨリ同国字アトサノボリ硫黄坑運使ノ為自費新道開鑿願済ノ上左ノ通届出
一、釧路川セツリヨリ川上郡弟子屈村迄・廿三里十四丁十八間四尺六寸・新引船道路川端伐木及橋梁架設流木引揚ケ開設
但釧路村字苧足糸ヨリ川上郡塘路村迄百石船通路同所ヨリ字標茶迄五十石船通路同所ヨリ熊牛村迄二十五石船通路同所ヨリ弟子屈村迄十五石船通路
一、川上郡弟子屈村ヨリ同所字跡佐登迄・四里三丁廿間・新道道幅三間深林伐木橋梁架設・地面高低平均開設
一、製煉所ヨリ第七号堀出場迄・三丁廿間・新車道深林伐木・地面高低平均開設
