
弟子屈町広報誌「広報てしかが」平成6年6月号〜平成8年3月号に掲載
阿寒国立公園小史(4)
てしかが郷土研究会 会員 小林俊夫
調査委員硫黄山を視察
国立公園調査委員一行は午後一時半川湯駅前に到着し、多くの弟子屈村民らの出迎えを受け、早速十数台の自動車を連ね、濛々と出る土煙に閉口しながら硫黄山に向かいました。
七月中旬ともあってエゾイソツツジの盛りを若干過ぎたとは言え、この広大な群生風景は見事であったようです。ツツジの香りも一面に漂う中、一行は硫黄山の中腹あたりの噴煙を上げる直下まで足を伸ばし、遠く斜里岳の美しさにも感嘆し「良いなァー」の連発しきりでした。
屈斜路湖を船で横断
再び自動車に乗り、川湯温泉市街を通過し、仁伏温泉に到着したのが午後2時でした。 このころの仁伏温泉には既に旅館や待合所が立ち並び、遊覧船用の桟橋も設けてありました。調査委員一行は第1白鳥丸をはじめ四隻の船に便乗し、藻琴山全姿を写す湖に吸い込まれるようにして和琴半島に向かいました。
しかし、中島付近に差しかかったあたりから南風が正面から吹き、波も六十センチと高くなり、今まで見えていた藻琴山も頂き当たりが雲に隠れてしまいしだいに曇り空となってきました。荒波で船内に湖水が侵入する有様で、湖上横断は予定を大幅に遅れ約2時間を費やしてしまいました。和琴半島に近づくにつれ風はなくなり、紺碧の湖のおだやかな姿を取り戻しました。
上陸して一速く目にしたのが露天風呂だったようで、大難航したことなど一気に忘れてしまったようです。
日本一の摩周湖
再び自動車で摩周湖に向かいましたが、今度は途中で四台の自動車が故障するというアクシデントが発生しましたが、幸い調査委員の自動車は故障もなく無事摩周湖に到着しまし。
カムイヌプリの頂上は少し雲に隠れ、また斜里岳は雲の中に包まれていましたが、湖の全景はくっきりと見え感嘆の声が上がりました。一行の中から「日本一だ」という感想を漏らす委員も出、特に一条候爵は「見るべし、乗るべからず」と言っています。
つまり、「屈斜路湖と違って、船を浮かべて遊覧することではなく、展望場所から眺望する湖である」ことを表現しており、また「決し湖の自然を人的に破壊してはならない」ということを言ったものと解されます。
視察した屈斜路湖と摩周湖の自然は調査委員に多大な好印象を与えたものと考えます。
三十分程度でしたが摩周湖を後にして午後六時半ごろ弟子屈の旅館に到着しました。調査委員はそれぞれ丸米旅館、青木旅館、本山旅館に分宿しました。(注・釧路新聞昭和六年七月十八日発刊記事では丸山旅館と記載されていますが、本山旅館の誤記と考えられます。)
阿寒湖畔を視察
翌七月十七日午前八時半、 そのころ名物になっていた温泉噴出場所(現在の商工会館の湯堂)に寄って、約九メートルも吹き上げている温泉を前にして記念写真を撮り、四十五分ごろ出発しました。
鐺別原野あたりには入植して間もない人々の新築したばかりの移民小屋が点在し、また昨日の濃霧でしっとりと濡れた道路は砂塵が上がらなく快適だったようです。
調査員の藤村男爵は道路の両側に連なる白樺林や針葉樹の密林帯の美しさに見取れてはその都度車を止めてフィルムに収める熱心さでした。
前日の摩周湖に行く途上での自動車の故障は、どうも冷却系統の故障であったことが解り、この日は時々休憩を兼ねて給水措置も行われました。第一回目の休憩給水は鐺別川上流の夕映橋で行われました。
それ以降はいよいよ勾配のきつい横断道路となりましたが、要所要所に道路作業員が配置され危険な箇所も少なかったようすので、土木当局のなみなみならぬ努力があったものと推察されまこの良好な道路事情を鷹司公爵はペンケ・パンケ展望所に来た時に「道路が良いので楽だ」と言ったほどでした。
一行の先駆車と一条公爵及び鷹司公爵の車がペンケ・パンケ展望所に着いたときはすばらしい景色でしたが、後続車の到着時には薄曇りに覆われ、雄阿寒岳はすっかり雲霧に包まれてしまいました。
十一時四十分にやっと阿寒湖畔に到着しました。早速新井観光局長と他一名は乗馬で登山に出発し、残る一行は四隻のモーターボート船や発動機船に分乗してポッケ岬に上陸し、泥火山を見て丘陵中腹に設けられた展望場所につきました。幸いにフシヌプリの全姿と雌阿寒岳の裾野が現れ、また眼下には阿寒湖から北見堺が展望できました。ここで全景を眺めながら昼食をとっています。
この時、 近藤営林区署長が手配してあったシャクナゲで作ったステッキと箸を一行にプレゼントし、大いに喜ばれました。再び湖上に出て忠類島にあるマリモを鑑賞に出発しましたが、あいにく小雨まじりの濃霧にみまわれますが、それにもめげず視察を続けています。
マリモ鑑賞の後はエベシベツ川河口でウグイ釣りを楽しんでいます。とにかく上手下手に関係なく一行はこの企画に大変喜んだようです。
その中で一行の本多博士は「アメリカでは一時間五十銭で釣をさせるんですが、ここもそのようにしてはいかがか。」とアドバイスするほどでした。
二時間半ほど楽しんだ後は約一時間を費やして瀧の口まで行き、また引き返してシリコマベツを経て湖畔市街に上陸し、その足で相生街道の北見堺付近で阿寒湖を展望し雄阿寒ホテルに到着し全日程を終えています。
一方新井観光局長も途中で小雨にたたられながらも山頂を極め、午後六時半頃下山し、直ぐにモーターボートで阿寒湖上を視察しています。たまたまこの時には空も晴れ渡り雌阿寒岳の雄姿を見ることができたようで、この秀峰を見ることが出来たのは一行の内新井観光局長唯一人だけだったようです。
一行は阿寒湖畔にある雄阿寒ホテル、山浦旅館、 井上旅館、土田旅館の各旅館に分宿しました。翌十八日、早朝から調査員は周辺調査に余念がなく、新井観光局長は昨日見ることが出来なかった瀧の口にモーターボートで視察し、雄阿寒ホテルに宿泊した一行の内、本多博士は主人の佐々木元吉氏の案内で約一時間程度周辺を散策し、阿寒湖畔を出発する時に記者に対し博士は「ここは良い所だ、この付近に変な商店などを作らず、この一軒で経営するんだね。」と感想を述べています。
一条候爵は阿寒の印象を「交通の便や設備を充実する必要がある。」と述べています。また、新井観光局長は「阿寒はスイスそっくりの感を抱く、スイスの湖畔もエゾ松に似た針葉樹の原生林で雄阿寒山麓の水辺もスイスの感を起こさせる。」と述べ、また「阿寒湖としては十和田湖ほどの凄壮味はないが、その替り摩周湖がある。阿寒を根拠地として付近を散策するのが最も好都合だ。」とも述べています。
また、森本観光局事業課長は「僕は摩周が一番良いと思う、あのような湖水は日本になく世界にも珍しいだろう。」と述べています。
