弟子屈町広報誌「広報てしかが」平成6年6月号〜平成8年3月号に掲載

阿寒国立公園小史(17)

てしかが郷土研究会 会員 小林俊夫

「議会時報・摩周」で阿寒国立公園名称変更を力説

昭和四十五年二月一日第一号となる「議会時報・摩周」が発刊-弟子屈町議会、編集-議会時報編集委員会として発行されていますが、第五号昭和四十七年五月発行誌中、「町政十年の夢(その二)」と題して、弟子屈町議会議員であり弟子屈町総合開発審議会文教厚生部長であった木下善吉氏は「観光産業の将来性」について次のように綴っています。

「弟子屈町は道東観光圏の拠点的位置を占めており、その立地的条件には極めて恵れて然も天下の絶景、摩周湖をはじめとして、硫黄山、屈斜路湖、美幌峠、津別等の得難き自然を保有しておることだけでも他の地域の羨望の的となっているのである。

他に比類のない貴重なこの自然美を損傷することなく、これらの資源を巧みに活用して真に日本の冠たる国立公園としての品格と輝きを保持し、これを軸として、観光事業の円満なる飛躍発展を期することが弟子屈町民に与えられた幸福であると同時に町民に課せられた重大なる責任であり使命でもあると自覚しなければならんと思う。」

として、次のような六つの観光振興策を掲げています。
(イ) 道東観光圏の拠点としての位置づけ
(ロ) 第三期総合開発計画の意義
(ハ) 国際観光客の誘致と施設
(ニ) 観光開発と民間資本の導入
(ホ) 阿寒国立公園の名称
(へ) 観光事業推進母体の構成

この中にあって、(ホ) 阿寒国立公園の名称については『兼ねて本件については運動を続けてきたが尚積極的に働きかけ「阿寒摩周国立公園」と改称実現するよう努力すべきである。」

とし、前号の陳情書と時期を同じくしていることから、木下町議にとどまらず町議会議員の一致した見解であったと思われますが、氏の六つの観光振興提言は国際化を視野に入れた阿寒国立公園の位置付けや弟子屈町の果たすべき役割を明快に解いた町議会議員の一人ではないでしょうか。

更に、氏のこの見解と姿勢は今日の町づくりの根幹を成し充分説得力のある提言であることに感嘆するばかりです。

環境庁の現地調査は?

昭和四十七年に環境庁の誕生に伴い「国立公園名称変更の陳情」を行いその結果、「近いうちに現地を調べる」という見解を引き出すことに成功し、かってない成果を上げることができたことを前号でご紹介しましたが、環境庁が来町した形跡はなく、その理由や経過についても知ることができず残念でなりません。

名称変更運動の広域連携の進展

町及び町議会の積極的な行動の中で新たな町村との連携が図られました。

昭和四十八年に裏摩周の観光開発を図るため中標津町、清里町 弟子屈町の三町で「摩周広域観光開発促進期成会」が発足し、裏摩周の整備と国立公園名「阿寒摩周国立公園」に名称変更するよう関係機関に陳情しています。

また昭和四十九年十二月には環境庁にも陳情しています。

従来の名称変更運動はどちらかと言えば弟子屈町単独による運動でしたが、期成会の発足により、根室支庁の中標津町、網走支庁の清里町、釧路支庁の弟子屈町の三支庁に跨る広域的な名称変更運動へと発展していきました。このことは名称変更運動の新しい展開の形態として注目される点であると考えます。

結果的には昭和五十二年に東藻琴地区と裏摩周地区が国立公園区域として追加されますが、名称変更については進展を見ることができませんでした。

「阿寒国立公園」新たな整備計画

このように他町との連携づくりには進展があったものの、気にかかるのは阿寒町に対する対応ではないでしょうか。

そこで弟子屈町は中期的な展望にたった「阿寒国立公園」の全体的な見直しを阿寒町と協力して進める方針を打ち出しました。

ここで北海道新聞昭和五十年三月二十五日発行の記事を紹介しましょう。

この記事には「弟子屈町・阿寒国立公園の整備計画」「名称も阿寒摩周国立公園では?」「広域公園造り計画」「温泉開発や原生花園保護」といった見出しになっています。

「【弟子屈】観光開発を進めている弟子屈町は、五十五年をを目標に現在の観光地のあり方に再検討を加え整備促進を計画している。同町は神秘の湖「摩周湖」 屈斜路湖、川湯、硫黄山など道東でも有数の観光地を抱えているが、最近は入り込み客の要望も多様化しつつあるため、いわば見直し”をしょうというもの。なかでも「阿寒国立公園」の名称変更についても昨年話し合いがもたれるなど、具体的な動きもあり、隣接の阿寒町を含め整備計画に期待が寄せられている。

ここ数年着実に観光客の入り数は伸びている弟子屈町だが、訪れる観光客からは、自然を見るだけでは何か物足りないという不満の声も上がっている。そこで町としては現状のままの観光地では今後観光客誘致も頭打ちになるという心配もあるため、広域観光ルートなどの案も考慮しながら再点検していこうということになったもの。

第一の課題としては、まず阿寒国立公園の名称変更が上げられている。弟子屈町では「阿寒摩周国立公園」という名称変更の実現に努めていく計画だ。 これによって広域的な公園づくりを目ざし、隣接の阿寒町と協力しながら観光整備を促進する意向だ。さらに温泉の有効利用をはかるため、新たに温泉の開発を進める。また野生の鳥獣保護や、原生花園を開発から守り一大公園の造成を目ざす。

このほか観光客の受け入れ面では交通施設の整備促進として裏摩周道路、摩周岳登山道路の開発、美羅尾、尾札部夕染の滝、釣鐘の滝を経て阿寒湖に通じる山岳道路の新設なども計画として上げられている。このほか観光レクリェーション施設には、仁伏山ポンポン山からアトサヌプリ地区沼の湯にかけて森林休養林の施設を国などに働きかけていく。ただこうした観光地の総点検には膨大な経費が見込まれ町としても頭の痛い問題だ。しかし単独の事業や国道の補助によってまかなう事業も含まれており、かなり具体的な案も出ているため町観光協会、川湯観光協会なども協力し五年をメドに実現をはかるよう運動計画をさらに細部にわたって検討していく。」

と今後の観光重点施策を発表しています。

このように、国立公園を取り巻く施策が次々と出されたのも昭和四十九年を前後を境にした時期でありましたが、それは昭和四十九年という年は「阿寒国立公園指定四十周年」の年であり、一つの節目を迎えたことが契機になっているものと推察します。

指定四十周年記念誌の中で

本編第1号(平成六年六月発行)でも触れましたが、指定四十周年を記念して「阿寒国立公園指定四十周年記念誌」が発刊てれています。

この記念誌の中で名称変更について述べている箇所は少なく「これからの阿寒国立公園」や「寄稿論文」の項目にも登場していません。この背景には発行者「阿寒国立公園広域観光推進協議会」内での論議が充分でなかったり、構成町に気を使う状況にあった結果によるものと考ます。

しかし、唯一二人の方が名称変更について述べています。

一人目は誌中「各町青年層の抱負」の中で、風祭保夫氏が(文中最後段)『更に「阿寒」国立公園を「阿寒摩周」国立公園に改めたいと思うのは私だけであろうか......問題を提起しておきたい。」と青年の立場で力強く語っています。

二人目は誌中「阿寒国立公園物語」の著者、釧路観光連盟事務局長、釧路圏摩周観光文化センター観光資料室長、弟子屈町立図書館長を歴任し、既に他界している種市佐改氏でした。